山極・中村編『資料日本占領1 天皇制』に、当時の米国アジア政策に大きな影響力を持った太平洋問題調査会(IPR)の評論誌『アメラシア』第六巻九号(一九四二年一〇月二五日)に掲載された、ケネス・W・コールグローブ「日本国天皇をどうするか」が収録されている。コールグローブは、当時ノースウェスタン大学政治学部長で、亡命中の大山郁夫の庇護者として知られ、大山に美濃部達吉『憲法精義』を英訳させていた時期である。コールグルーブは、翌四三年からOSSに加わり、戦後はマッカーサーの政治顧問として来日し日本国憲法制定に関わる。この時点では、彼のもとで日本憲法・日本政治を学び博士号を得た愛弟子チャールズ・B・ファーズがOSSのR&A(調査分析部)極東課日本班長(後に極東課長)をつとめており、「日本プラン」の存在を知りうる立場にあった。

 コールグローブは、オーウェン・ラティモアら「中国派」の影響力の強い『アメラシア』誌上で、米国における戦後日本の天皇廃絶論・存続論の双方の主張の論拠を整理する。

 天皇制廃止論は、後に中国国民党の代表的見解と見なされたB・A・リュー「ミカドは去るべし」(『現代中国』三巻一二号、一九四三年一一月一日)中に引用・要約された通りに挙げれば、以下を論拠とする。(1)日本では天皇崇拝の影響が増大している、(2)日本軍兵士は、狂信的熱誠のもとに天皇に奉公している、(3)天皇の独特の地位は、その結果として、政治の二重体制を生んでいる、(4)天皇は、国務大臣が接近しにくいところに遠ざけられている、(5)日本の国体は、世界の安全に対する脅威を内在させている、(6)戦争中に、皇居および国に属するいくつかの神社を破壊する必要がある、(7)総力戦においては、イデオロギー面でのきびしい攻撃が重要である、(8)世界平和にとっては、日本の軍部支配の排除がその前提条件である。

 しかし、リューも認めたように、コールグローブは、天皇制存続論についても、詳しく紹介していた。(1)天皇崇拝の存在が戦後日本の国家的結束の保障になりうること、(2)天皇崇拝は国家宗教である神道の問題で、その抑圧はルーズベルトの「四つの自由」の一つである「信教の自由」保証の公約に反する、(3)大西洋憲章が述べた「すべての国民がその下に生活する政治形態を選択する権利」からして、戦後の日本国民は天皇制を含む政治体制を選ぶ権利を有する、(4)天皇崇拝の廃止は国家元首への侮辱を意味する、(5)皇居や伊勢神宮への攻撃は、日本国民の志気をかえって高め、米国民間人・捕虜等への報復を招く、(6)皇朝の伝統は、敗戦国日本に秩序を回復する有効な手段となる、日本が暴力革命や外国の干渉もこうむることなく徐々に天皇崇拝から立憲君主制に移行することは連合国にとっても望ましい、を挙げた。

 そのうえで、「日本の体制や伝統を廃絶する計画について、われわれが躊躇するのは、現在のところ、建設的なリーダーシップが欠如しているからである」と結論を保留するが、文脈からすれば彼自身は存続説の立場にあり、一緒に掲載されたケイト・L・ミッチェル「日本国天皇の政治的機能」の絶対君主制廃絶論とは鋭く対立する。

 そして、この頃始まる国務省や陸軍内での本格的検討は、「日本プラン」を下敷きにしたと思われるコールグローブの整理した存続説の方向で展開され、さらに存続の論拠が強化される。(7)軍国日本をスムーズに武装解除するにも天皇は利用価値があり、二度と軍部独裁にならないようにするためには、軍部と武力を破壊すればよい(後の日本国憲法第九条「戦争放棄・戦力放棄」の方向)、(8)その制度的保証である憲法改正の発議権も、大日本帝国憲法では天皇にあり、対外干渉ではなく日本国民の「自由に政治形態を選択する権利」による憲法制定のかたちをとるためにも、天皇は利用しうる(ヒトラーのドイツとは異なり、日本政府を残した間接占領の方向)、と戦後占領改革の基本的方向が定まっていく。

 憲法第九条を含む後の日本国憲法制定の全体的方向は、一九四二年六月「日本プラン」段階では定かでない。しかし、第一条「象徴天皇制」については、すでに米国政府・軍の基本戦略の方向性が定まり、米国及び連合国の対日政策を牽引していくことになる。