「ふぃー、やっと出られたー」 店内で伸びていた強盗二名は、空手を習っていた葵が撃退したという事で無理やり押し通し、事態は一応の決着を見た。 再び早朝の肌寒さに包まれながら、通学路を歩きだす。 「あ、そうそう。これこれ」 言いながら、光輝は薄い紙に包まれたチキンナゲットをパクつきつつ、残りのピースを二人に差し出した。 葵が何も言わずに当たり前のように掠(かす)め取っていったのに対し、悠は。 「私はいらない」 「あれ? 拒食症?」 「単に朝からそんな脂っこいものを食べる気が起きないだけ」 そう言い残し、彼女は一人スタスタと学校方面へと歩いていってしまう。 「ふーん。じゃ、俺もーらいっと」 食べるというよりも飲むといった方が正しい勢いで二つ目のチキンナゲットを咀嚼しつつ、ゆっくりと遠ざかっていく彼女の背中を眺める。 「……あ!」 ふと、『ねーちゃん』に言い渡された自身の役割を思い出し、 「って、おい、待てってー!」 彼女の背中を追いかけ始めた。 「ふーん。大変よねぇ。ノルマに追われるって」 遠ざかる二人を遠くから見送りつつ、もっしゃもっしゃとチキンナゲットを味わう葵。 『……』 各人固有の異能が支給される協会所属者。 ただしそれには一部の例外(……・・)というものが存在する。 例えば、クレアという謎の幽霊が憑いている葵。 クレアの存在そのものが異能であると本部に判断され、葵だけ支給が下りる事は無かったらしい。 異能力が支給されていない葵は、同時に協会の裏の仕事の従事者にも組み込まれていない、という事だった。 いつもの四人の中で一人だけ自由気まま。しかし。 『責任も義務も無い代わりに権利も無い、か……』 「? なんか言った?」 『いや、気にするな。ただの私の独り言だ』 だからこそ、いつも物事に首を突っ込みたがる面も……と、クレアが小声でつぶやこうとしたその時。 「ふむ。ちょっといいかねそこのお嬢さん」 背後から声がかけられた。 『……?』 振り向くと、ちょび髭に黒いマント、オマケにシルクハットといった不審な格好をした男が腕を組んだまま仁王立ちになっていた。 「だ、誰よアンタ」 流石の葵も不審そうな表情で、その男からジリジリと後退しようとする。 「我が輩は――」 朝のホームルームの時間ギリギリに教室に入った白斗は、いつもの席に葵の姿が無い事に気がついた。 その程度ならよくある事なので、どうせいつも通り寝坊なのだろうと思っていたら案の定、一時間目の最中に彼女が悪びれもせず教室に入ってきた。 「――そういう訳で、金属ナトリウムに水を加えると猛烈な化学反応が起こり、水素と高熱が発生するので大変危険であり……。おいそこ、早く席に着け」 白衣を着た化学の教師が授業を中断された事で顔をしかめ、葵をチョークで指すが。 「はーい♪」 大して聞こえていないような返事をし、そのまま自身の席へ。 「♪〜」 傍目から見ても分かるほどに彼女はやたら楽しそうで、いつも通りクレアは頭を抱えていた。 そんなこんなで四時間目になっても、葵は終始上機嫌のままだった。 何かあったのかとクレアに問おうとしても『聞かないでくれ……』と、ただ首を横に振るばかり。 「……」 何か、嫌な予感がした。 「さって昼休みだー! さぁ何食うかなー」 「おうよ光輝! オレ的には期間限定の特盛りご飯丼がオススメだぜ! なにせ白いご飯の上にさらに大量のご飯が乗っていてまさかの百円だからな! 金が無い時にゃあぴったりだぜ!」 「マジか、太っ腹だなうちの学食! さっそく行こうぜ時雨!」 「……」 訳の分からない事に夢中になっている二人を背後から見つめ、悠は小さく息を吐いた。 くだらない話でそこまではしゃげる事が信じられなくもあり、自分には到底無理だと思えた。ただし決して羨ましくは無かったが。 「……はぁ」 再び小さいため息をつき、今しがた二人が走っていった学食方面へと歩き出した。 学食のテーブル席にて向かい合った二人が「特盛りご飯丼」とやらをかき込んでいる隣で、悠は自分のカバンを開け、そこから携帯固形食糧を取りだした。 実のところ、朝食も食べる気がしなかったのでパスしたはずなのだが、現状特に空腹は感じていなかった。 他人から見ればあまり褒められた生活習慣では無いのだろうが、悠自身としては一日一食でもいい気がしていた。 「つーかよ光輝―、これ、味しなくねーか?」 「え、そうか? 俺全く気付かなかったけどなぁ……あ、そうだ、塩かけようぜ塩!」 「おうよ! じゃあオレはソースにすっかなー」 「……。あ、おばちゃん、特盛りご飯丼お代わり!」 「……はぁ」 本日何度目になるのかため息を吐き出し、そのまま席を立つ。 携帯固形食糧は一口だけかじり、再びカバンの中へ戻した。 慢性的に金欠の時雨に渡せば二重の意味で喜んで食べ始めるのだろうが、その二つ目の意味で彼女に渡す気などはさらさら無かった。 「? どこ行くんだ津堂? お前さんも食えよ、ご飯丼」 「いらない」 混雑している学食内を歩きながら周囲を見回しても、どこにも葵や兄さんの姿は確認できなかった。 唯一目に付いたのは、たまに光輝と共にいる山寺とかいう生徒が、奥の方で誰かと食事をしている光景のみ。 「……」 そのまま足を学食の外へ向けて踏み出す。 行くあては特に無かったけれども、やたら騒がしい学食内よりは幾分マシに思えた。 と。 「……」 自身の携帯電話がピロリロリー、と初期設定の効果音でメールの受信を知らせる。 件名『緊急事態(エマージェンシー)』 差出人は……秋津。 「……」 どこか身を固くし、未読一件のメール受信画面を開く。 が。 本文『期間限定の物産展が本日最終日! 食べたいので絶対買ってきてねー地図は添付してあるよーん。後ついでに以下にあるものもよろしくーん』 「……」 他の三人を見習い、たまには自分もサボタージュしてもいいのではないかと、この時ちょっぴりだけ思った。 「光輝、これ」 学食内の先ほどの席へと戻り、未だにがっついている二人のうちの片方に先ほどのメールを見せる。 彼は画面を見つめ、そのまま箸を数度口元に運んでから、 「……? ……。……。うげ……ねーちゃんまたお使いかよ……」 やっと内容を理解するなり、げんなりとした表情を浮かべた。 「時雨、悪いけど用事が入った。今日は一緒に出かけられない。また今度」 その瞬間、笑顔でご飯丼を口に運んでいた彼女の表情が凍りついた。 錆びついたロボットのようにギギギとゆっくり顔を回し、悠の方向を向く。 「エ、イマオマエサンナンツッタ」 「今日の放課後は用事が入ったから、一緒に出かけるのはまた今度」 そう繰り返すと、時雨は深皿に残っていたご飯丼を一気にかきこみ、それからテーブルに顔を打ち付けるようにして沈めた。ゴン、と割と大きな音がした。 「おいおいマジかよそれないぜお前さんよー授業中に四回も夢に見るくらい楽しみにしてたのによおぉぉぉぉちくしょうグレてやるううぅぅぅ明日はレディースだあぁぁぁ」 「そう」 何やら号泣している彼女をその場に残し、自身のカバンと共にそのまま席を立つ。 と、そのカバンの端が光輝によって引っ張られた。 「なに」 「いやー……悠さん、そんな冷たく見捨てる事ないでしょうよー。このままじゃ時雨が不良になっちまうって」 「別に好きにすればいいと思うけど」 「あー、何かかける言葉は無いので?」 「例えば」 「『この埋め合わせは必ずする、次の休みに二人でどこか出かけよう。そうだ、今度の日曜は一日中ネズミ王国だ』とか」 「私はそんなに暇じゃない」 「……。『悪かった。今この瞬間(とき)は無理だけれども、今日の用事が終わったらすぐさま君の元へ駆けつけよう、花束を持って』とか」 「病院に駆けつければいいと思う。あなたが」 そう言って今度は先ほどよりも手早くカバンを抱え、その場を離れようとする。 が。 「んじゃ、最終手段っと」 「……?」 未だに号泣している時雨の耳元に光輝が口を近づけ、何事かをささやく。 「……。ごにょごにょごにょ……」 「……。……!」 時雨の目が光ったように見えたと思うと、次の瞬間には彼女は飛び上がるようにして立ち上がり、テーブルに片足を載せつつ学食の出入り口付近の悠にスプーンを突き付ける。 極めてマナーの悪い行動により周囲が一瞬だけ騒然とするが、それもすぐに大量の生徒たちが生み出す雑音でかき消されていく。 「へっ、もし今日オレと一緒に行かなかったら、津堂ファンクラブの会報誌特大号に、お前さんのスクール水着姿の写真を載せてやる! どうだ!」 「待って。この学校でまだ水泳の授業受けた事無いんだけど」 と、急に時雨はあさっての方向を向きながらピーピーと口笛を吹きつつ、 「それにしてもよー、最近の技術ってスゲーよなー。パソコン一つありゃあコラ画像っていう素ん晴らしい事ができるんだもんなー。着せ替え人形みたいに自由自在だもんなー」 「……」 無言で光輝に視線を向けると、彼も同じように視線を反らして口笛を吹いていた。ただしこちらは全く鳴っていなかったが。 「……。分かった。予定変更。でも、私の用事にも付きあってもらう」 極めて上機嫌になった時雨から少し離れ、人も減ってきた学食の壁際で光輝は悠に問い詰められていた。 自身よりも背の低い彼女にいわゆる「壁ドン」をされているという状況はどこかシュールでもあり、光輝としてはあいまいな苦笑いを浮かべるしかなかった。 「あー、悠さん激おこ?」 「……。その前に。秋津のメールの話」 ポケットからケータイを取り出してメール画面を開いた悠は、それを光輝の鼻先に突き付ける。 「さっき見返してみたけど、学校近くと駅前と、離れた二か所を回る必要がある。だから、今回は二手に分かれようと思う」 「……ああ、そういう事か」 ここでやっと、悠が時雨から距離を置いた事への察しがついた。 要するに、光輝が『こう』言う事を予測していたのだろう。 だから、その期待通りに訊く事にした。 「悠、一人で大丈夫かよ? 今は……ほら、あれだろ」 悠と同じ姿で、彼女を狙っているという『人形』。 それが現在この街を徘徊しているという状況。 そしてそれに対する応答も既に想定済みだったのだろう、寸分も間を置かずに返してくる。 「時雨と一緒に行動するから大丈夫。私たちは駅方面に行くから、あなたは学校近くの方での買い物をよろしく。駅の方が人通りも多いから安全なはず」 異能が一般的にニュースにもならず、大々的に知られていないのは、この辺の『性質』に理由がある。 協会所属者のように自分の意思で異能の使用をコントロールしている者たちならともかく、自然現象のように――今回の『人形』もそうであるのかどうかまでは知らないが――自然発生している超常現象すらも、ほぼ人目につかないのは何故なのか。 それは、超常現象そのものが人気の無い場所で発生しやすい……という理由があるかららしい。 一人二人の人目ならともかく、駅や学校のように人が大量に集まる場所では超常現象の発生は考えにくい。 ……と、以前ねーちゃんが半分寝ぼけながら話していたのを今しがた光輝は思い出した。 ともかく、人の目が多い場所での襲撃はまずあり得ないだろう。 「おっけ。もう片方は俺が一人で行ってくる。ま、早めに戻ってきますかね」 幾ばくかの間を挟み、そう返答した。 「別に、のんびり買い物してても構わないけれど」 言いつつ彼女はそっと振り向き、遠くの席の時雨の様子を窺(うかが)った、 手持ちぶさたにシガレットチョコを咥えながら、取り出したレポートを鼻歌交じりに適当に書き殴っている。 「それと今回は貸し一つ、いや二つだから覚悟しておいて」 やっと話が自分が時雨を焚きつけた事へと戻り、光輝は心中で息を吐いた。 「いえっさー。肝に銘じておきます」 相手はため息をつくと、やっと光輝を開放した。 「ふぃー……」 手首をコキコキと鳴らしながら、二人で元の席へと戻る。 「お前さんたちよー。オレに内緒で何の話してたんだ?」 「店長に頼まれた買い物の役割分担の打ち合わせ。あと光輝へのお仕置きだから気にしないで」 「おー、羨ましーぜ光輝―。なーオレと代われよー」 「あははは……」 「んで、何されたんだ? 蹴られたのか? 踏まれたのか? 殴られたのか? それとも言葉責めか?」 真顔でそんな事を聞いてくる時雨にため息をつき、今度こそ悠は学食を出ていってしまった。 「それにしてもなぁ……。貸し、ねぇ」 先ほど悠が言った言葉を、胸の内で反芻(はんすう)する。 「今回『は』貸し、かぁ……」 今までにもこのような形で彼女が『貸し』を作ってきた事が何度かあった。 毎度毎度、ことごとく全てが正当な理由であったため、光輝は抗議できなかったし、またするつもりも無かった。 だが問題はそこではなく――。 「今回『も』、じゃないんだよなぁ……」 光輝としてはねーちゃんからのお使いを代わるのでも、昼食をおごるのでも何でも良かったのだが、今まで悠がその権利を行使した事は記憶になかった。 毎回貸しを作られるのは別に構わないが、それを返させてくれないとどうも寝覚めが悪くてしょうがない。 もしやそれとも、後で今までの権利を全て行使してとんでもない『お返し』を要求してくるのだろうか。 そんな事を考えていると、午後の授業開始五分前のチャイムが鳴り響いた。