時雨がもう一人の悠を見かけたという駅付近。その周辺を、二人で手分けして探しまわる。 そして捜索を始めて小一時間ほどが経過。 既に時刻は午後六時を回り、辺りは赤黒い夕闇へと包まれかけようとしていた。 「悠! そっちにはいたか!?」 光輝は急ブレーキをかけて息を整えながら、人気の無い小道で周囲を見回している彼女に手を振った。 「まだ。全然どこにも見つからない。もしかして、駅の建物内にいるんじゃないかと思う。光輝、一緒に来て」 「……あっそ」 それから彼はどこか困ったように頭をポリポリとかきながら彼女に近づいていき。 唐突に相手の顔面向けて右ストレートを放った。 右手に手応えを感じたかと思った瞬間、とっさに悠は飛び退(すさ)って拳をかわした。 「あー、やっぱ本気でやらないと駄目かぁ……。アイツぶん殴ろうとしてるみたいで嫌なんだけどなぁ……」 手加減はいらないと昨晩紫苑から言われていたものの、相手の姿はいつも見ている彼女そのものであるため、どこか気が引けて手心を加えてしまう。 「……いきなり何を――」 抗議めいた口調で言ってくるが、それを無視して手を振った。 「数秒でもお互いを見失ってから合流した場合、出会いがしらに悠が『とある合言葉』を言う事、って決めておいたんだわ」 余程の事が無い限り表情を変えない『悠』の顔が、どこか歪んでいく。 「つーわけで、合言葉を言わないお前が偽物確定なわけ。しっかしよく似てんなぁ」 そう告げる彼の背後から、もう一つの人影が現れた。 「……。『今日の晩ご飯は焼き魚定食』」 「ビンゴ。ナイスだぜ悠さん」 背後から現れた彼女の姿と合言葉を確認し、親指を立てて応じる。 「……光輝、何かもっといい合言葉は無かったの」 「? 例えば?」 「……。やっぱり今のでいい」 彼女は息を吐き、それから自身の偽物へと向き直る。 いくらかの距離はあるものの近くに同じ姿の人間が二人いると、まるで悠が双子であるかのような感覚に捕らわれる。 「……見つけた。私のオリジナル」 相手の姿がゆらり、と揺れたかと思うと。 本物の悠と一気に距離を詰め。 彼女の喉元向けて手を突き出し。 その手先はいつの間にか鋭く尖っていて―― 「悠っ――」 キン! 小気味良い高音と共に、相手の伸ばした手は本物の悠に触れる直前で何か(・・)に阻まれた。 「……?」 相手は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、すぐに刺突を再開する。 振りかざした手を執拗に何度も何度も繰り返し叩きつけるが、何か固い物にぶつかるような高音が周囲に響くのみ。 「光輝、離れて。一旦弾くから」 「OK」 何も余計な事はしませんとの言葉代わりに両手を上げ、二人の少女から数歩ほど後ろに下がる。 そしてそれとほぼ同時、再び大きく振りかぶった相手の身体が吹っ飛んだ。 路肩の放置自転車に勢い良く突っ込んだ『偽物』と、周囲にもうもうと巻き上がる土煙。 「……『イージス』」 倒れ伏した相手へとゆっくりと歩く悠の前面には、淡い緑色の光を放つ障壁が音も無く漂っていた。 「私の異能は盾。どちらかと言うとバリアに近いけれど」 倒れたままの体勢から繰り出される相手の連撃を、甲高い音と共に全て受け止める。 「あ、おい、悠」 「大丈夫。気は抜いてないから」 背後に淡々とそう返し、眼前の相手を見つめる。 その瞬間、『偽物』は弾かれたように飛び上がり―― 「うおっ!?」 悠の頭上を越え、その数歩ほど後ろにいた光輝へと踊りかかる! 「……させない」 彼の制服に触れる瞬間、再び高音と共に弾かれる相手の身体。 「障壁の展開範囲に制限は無い。それが私の異能の特性」 ただし広げれば広げる程障壁は薄くなるので、実用に耐える展開範囲は数メートルが限界だけど、と心中で続けてから、 「ただ、自分から積極的に攻撃する事に向いた異能じゃない」 「そ。そこで俺の出番ってわけ」 光輝が一歩前に踏み出し、パン、と両手を打ち合わせる。 それからあやとりの糸を引くように、組み合わせた手のひらをゆっくりと引き離していく。 そして、手の間に発生した雷光がジジ、ジジッ……と山吹色の光を放ちながら周囲を照らす。 「『トリッキーアート』。ああ、命名は俺。格好いいだろ?」 数メートルほど前方で体勢を立て直している相手に向かい、どこか面白そうに語りかける。 「悠が防御担当だとしたら、俺は攻撃担当。ま、二人一組って決めたのはねーちゃんだけどさ」 自分たちの上司の、にぱーとしか形容できない笑顔を思い浮かべる。 あの笑顔の裏で自分と悠にコンビを組ませたのは偶然か計算か、それともただの気まぐれなのか。 「この異能の特性は……電撃操作。距離が離れれば離れるほど威力は極端に弱まっちまう。だからほぼ接近戦専用なんだなこれが」 言うなり両手に山吹色の電光を帯電させ、前方の相手目がけて駆け出す。 「……」 カウンターを叩きこもうと振りかぶる『偽物』に対し、光輝は避ける素振りすらも見せずにそのまま突っ込んでいく。 そして相手の爪が彼の首筋に突き刺さろうとしたその瞬間―― 緑の障壁が割り込んだ。 「光輝、合図くらいして」 自身の数歩ほど後ろで、イージスを展開した本物の悠がどこか非難めいた声を上げた。 「へへっ、悪い悪い。まあお前ならちゃんとタイミング合わせてくれるって信じてたしな」 「だからって――」 「じゃあ行くぜ、悠さん!」 彼女の応答を待たず、再び前方へと突撃する。 相手の攻撃を気にせず光輝が特攻し、迫りくる鋭爪は悠が全て障壁で防ぐ。 矛と盾。それがこのコンビの真骨頂。 ――が。 「……くそっ! 思ったよりもすばしっこいぞ、悠の偽物!」 当たらない。 悠の姿に似合わない身軽さで、こちらの雷撃がかすりもせず全て回避されている。 見た目は寸分違わず同じでも、やはり『偽物』なのだと改めて思い知らされた。 いつしか周囲の景色は、後数メートルほどで大通りへと差し掛かろうとしていた。 「……」 息を整えるために一旦その場を飛び退り、相手との距離を置く。 こちらの出方を待っているのか、『偽物』も反撃してくる事は無かった。 「ところで俺の異能『トリッキーアート』。もう1つだけ特記事項があってだな」 額に付いた汗を片手で拭(ぬぐ)う。 「その前に、どうしてトリッキーでアートなのか、ってーと、だ」 「……」 やはり相手は動こうとしない。 こちらが話す情報から打開策を探しているのか、それとも。 「ほら、バルーンアートってあるだろ? 細長い風船いじくって犬とか花とか作るヤツ。アレアレ」 「……」 「……んで、これがバルーンと違うのは……」 「こっちのは、生きてるってこった」 相手の足元には、全身が山吹色に輝いたサルのような小動物が。 「!?」 バチッ、と音がしたかと思うとそれがヘビに変化し、避ける間もなく相手の両足首に巻きつく。 「……」 「ま、正確には「生きてるみたい」だけどな。何にしても誘導成功―っと」 上機嫌に指を鳴らし、後方の悠と共に拘束されている『偽物』に近づく。 「最初出くわした時に不意打ちしたのに避けられたからな。普通に攻撃してもなおさらってのは分かってた。だから罠を張らせてもらったってわけ」 「……」 無言で光輝を睨みつける自身の偽物を、悠は数歩後ろから何の感慨も無く見つめていた。その姿は、鏡で見る自身の姿と気味が悪いほどに同じ。 履いている革靴から髪の一本一本、細やかな挙動さえも。 ただ、今は拘束から両足を引き抜こうとしているのか、その表情は強く歪んでいた。 「悠を狙おうとした罪は重いぜ? 一応これでも大事な相方なんでね」 「……相方」 彼が言ったその言葉を、口の中だけで繰り返した。 秋津にコンビを組まされているのだから当たり前と言えば当たり前な呼称に、どこか耳慣れ無さを感じている自分自身に気が付いた。 「ま、何にしろ『妹その二』よりはいいだろ?」 以前彼が自分を友人に紹介する時にそう呼んでいた事を思い出し、心中でため息をついた。 そして。 光輝が無言で最大出力の電撃を片手に乗せ、それを相手目がけて叩きつけるように―― ブチブチッ。 何か有機質が引き千切られるような嫌な音。 それと同時、相手が山吹色のヘビの拘束から自身の足を力ずくで引き抜いた。 「げ、マジかよ……!」 『偽物』に触れるはずだった光輝の手は、何も無い宙をかき切った。 そして、それだけではなく。 「何だコイツ……!?」 本来物理的に不可能な動作を行った事で、あり得ない方向に曲がるのみならず引き千切られた足首。そこに革靴の残骸らしきものがぶら下がっていた。 その体勢のまま、平然とアスファルトの上に立つ『偽物』。だが、身体のどこからも血は一滴も流れ出ていない。 「……!」 光輝の目がおかしくなっていなければ、その足首が見る見るうちに元通りになっていくように見えた。 裸足の足から学校指定の黒ソックス、最終的には革靴まであっという間に。 それから『偽物』は、ダン! とアスファルトを強く蹴って人間ではあり得ない高さまで飛び上がり、近くの雑居ビルの屋根へと着地した。 「逃げ出した……?」 相手は光輝のその声を否定するかのように、ニィ、と嗤(わら)った。 まるで、追ってこいとでも言うかのように。 そしてその姿は夜の帳(とばり)の中に消えていった。 陽が完全に沈み切り、濃い暗闇に包まれた人気の無い路地裏。 路上に点在する街灯だけが、唯一頼りになる明かりだった。 「悠、一人じゃ危ない。絶対に離れるなよ」 「むしろ……逆だと思う」 「?」 「相手は多分……私たちを分断しようとしているんだと思う。そんな手には乗らない、と言いたいところだけど」 自身の推測を、落ち着いてゆっくりと話す。 「おそらく……二人で固まって行動した場合、相手は決して私たちの前に姿を現さない」 「どういう事だよ?」 「さっきの状況を思い出して。私たち2人対、私の偽物。2対1」 「? ああ」 「仮にあのままの状態が続いていたとしたら……どうなっていたと思う?」 「そりゃあもちろん、人数が多い俺たちの方が……。あ」 やっとこちらが言いたい事を理解したのか、光輝が手を打った。 「そう。あの状況だと私たちが断然有利。その事は、私の偽物だって分かっているはずだけど。つまり……」 そこで一旦言葉を切り、小さく息を吐いた。 「二人で行動すれば確実に勝てる。でもそれだとあれは絶対に姿を現さない」 「……」 「だから固まっての行動は本末転倒、意味が無い。危険でも、あえて単独行動をするしかないと思う」 「アイツが逃げたのは仕切り直しのため、って言いたいのかよ?」 「それだけじゃない。一度相手を見失った事で、状況は最初に戻ったの。つまり、別行動を取った後はどちらが本物か分からない」 「……」 再び息を吐き、説明を続ける。 「これから私たちが取れる選択肢は二つ。このまま帰るか、別行動をして相手を探すか」 「……」 光輝は無言で腕を組み、悠の話をただ聞いていた。 いつも訳の分からない馬鹿騒ぎをしている彼がこんな真剣な表情をするなんて事は、少なくとも悠の記憶にはほとんど無かった。 「このまま帰って秋津に言えば、代わりの誰か……と言っても多分紫苑だろうけど、を呼んでくれると思う」 「……」 「そして、もう一つの選択肢。わざと別行動を取って私の偽物をおびき出す。言った通り単独行動になるから、さっきよりも危険になると思うけど」 ……。 「でも紫苑を呼んでも、あの不死身相手だとやっぱりお前の偽物も姿を現さないんじゃないのかよ?」 数瞬の後、何かを考え込んでいた彼が口を開いた。 「昨日の夜、俺の偽物を紫苑がタコ殴りしたってのをお前の偽物も知ってるだろうし」 「そう、それも問題。……だから」 最初から言おうとしていた結論を、やっと口に出す。 「このまま相手を追いかける。私とあなた、二手に分かれて。……光輝、あなたがそれで良ければ」 眼前の相手は何の逡巡(しゅんじゅん)も無く首を縦に振った。 「おっけ。元から俺もそのつもりだったしな。そもそも、今日はねーちゃんからお前の護衛を言いつけられてるし。全く……ねーちゃん、報酬は弾んでもらうぜ」 「その前にいつものお使いの代金すらもらってないけど」 「あー、そうだよなぁ……。ねーちゃん、このままずっと代金俺たち持ちで買い物させまくる気じゃないよなぁ……」 ……。 「ただ、別行動をする時の問題は」 そう言って、背後を振り返った。 「私と偽物との区別が、あなたにはつかない」 「大丈夫だって。さっき言ったろ? これがあれば……あー!」 どこか自慢げにポケットからケータイを取り出した光輝は、点灯しなくなった液晶を見て悲鳴を上げた。 「何かショートしてるし! どこのボタン押しても全く反応しないんですけど悠さん!?」 「精密機械を身に付けたまま、あんな異能使う方が悪いと思うけど」 「あーくそ、また買い替えかよ……」 頭を抱えてひとしきり唸(うな)ってから、役に立たなくなったケータイを元の場所へとしまう。 「……。でもイージス使ってない方なら、見た目でも判別出来そうな気が……」 「さっきの足の変化をあなたも見たはず。その程度の偽装はおそらく容易いと思うけど」 「……。駄目かぁ」 攻略法を探す事を諦めたのか、両手をひらひらさせつつため息をつく光輝。 「実は意外とそうでもない」 「え?」 「出会いがしらにお互いが知っている事を質問すればいい。『偽物』に聞かれるとまずいからこの質問内容は毎回変える事。あと、同じ理由でもう合言葉は使わない」 「ああ、悠さんナイス」 真顔でポンと手を叩く。 それを横目で見つつ、悠は時計を確認した。現在の時刻は十八時半。 「何かあったら叫べよ。すぐに駆け付けるから」 「悲鳴をあげる余裕があれば、だけど」 金切り声を出す自分の姿がどうしても想像できず、息を吐いた。 ……。 それから一瞬だけお互いの顔を見合わせて、別々の方向へと同時に駆け出す。 ――彼らの非日常(にちじょう)が始まった。