完全に夜の帳に包まれた線路沿いを、独りで駆け抜ける。 「しっかしなぁ……」 ペースを落とさずそれでいて息も切らさないように、最低限のスピードを維持する。 「あのイージスなら多分安全だろうけど……」 悠の異能は、光輝が知る限りあの協会支部内で最も防御に特化したものであり、その彼女が危険な目にあう事はほぼ無いだろうと思われた。 だがそれは、裏を返すと悠が特筆すべき攻撃手段を持っていない事を意味していた。 「アイツだけじゃ防戦一方だよなぁ……。ってなわけで!」 自身の声に合わせて急ブレーキをかけ、いつもは通らないため不慣れな駅周辺の道を左に曲がる。 「悠の偽物、俺が先に見つけないとな」 周囲に気を配りながら、再び走りだした。 先ほど鋭爪を何度か受け止め、気付いた事があった。 あの威力は、自身の異能で防ぐには多少なりともギリギリであった事に。 「イージスの特性は、範囲制限無しの障壁の展開。ただし広げれば広げる程薄くなり、防御性能は低くなっていく……」 自分自身へと言い聞かせるようにつぶやき、今の状況を整理する。 「……」 そしてそこから導き出されるのは、最も安全な方法である障壁の全方位展開は出来ないという事。 それをした場合、あの鋭利な爪は薄くなった障壁を貫通し、自身にまで迫ってくるだろう。 もしかすると全方位に張り巡らせても何とか耐えきるかもしれないが、生憎自分の命を実験台に差し出してまで試してみる勇気は無かった。 「……」 そんな事を考えつつも、周囲を警戒しながら夜の郊外を歩く。 「光輝は相手が本物かどうか分からない。だから……私が先に私の偽物を見つける必要がある」 そう声を出して自身に言い聞かせ、目に付いた角を曲がる。 現れたのは、どこまでも広がる線路。 どうやら、先ほど光輝が向かっていった方向に出てしまったらしい。 そこに立ちつくしていると、タッタッタッ……と、走るような音が聞こえてきた。 「……!」 襲撃してくるのならば気配は殺して近づいてくるはず……と思いながらも警戒は解かずに路地の暗闇を見つめる。 そして、そこから現れたのは。 「……」 固い表情でこちらを見つめている光輝。 お互いが見回った場所の情報を交換しようと、彼に近づく。 「光輝、私は本物だから安心して」 ……。 一瞬経ち、それから自身もどこか頭が上手く回っていない事に気が付いた。 自分が本物である事は、自分にしか分からないのだから。 「……。今朝あなたはコンビニでチキンナゲットを三つ買い、そのうちの一つを私に渡そうとしたけれども、私は食べる気がしないからと断った」 そう言い直し、相手の反応を待つ。 「……おっけ。大丈夫だ悠」 息を吐き、今度こそ相手に近づく。 「しっかしなぁ、面倒な事になったもんだぜ」 「出来れば私たちだけで、それも今日中に終わらせたいけど」 「ああ。……。……!」 そう返すと相手はこちらを見つめ、驚いたような表情を浮かべた。そして声を小さくして囁(ささや)くように告げてくる。 「……ところで悠さん。来てるぜ、後ろ」 「……っ!」 慌てて振り向き、襲撃に備えて前方に障壁を展開して待つ。 だが、いつまで経っても前方に広がる暗闇の中から相手は現れない。 「光輝、『偽物』はどこに――」 「なぁ、悠」 自身の肩に置かれた手。 そこで、とある事が脳裏を掠(かす)めた。 昨日紫苑から聞いた出来事。 確か、『人形』は見た目を自在に変えられると―― 「しまっ――」 肩に置かれた手からゾクリとした悪寒が襲いかかってくる。 背後からの不意打ちに障壁を展開し直す暇も無いまま、固いアスファルトに叩きつけられた。 とっさにイージスを展開し正面衝突は何とか防いだものの、衝撃は殺しきれずに地面の上を転がる。 そして身を起こそうとした自身の上に相手が馬乗りになり、頭に手を伸ばした。 「……っ」 『光輝』の手が、自身の頭を遠慮なく締め付ける。 そしてそれは物理的なものだけではなく。 「ぅ……ぁっ……!」 頭の中に直に手を突っ込まれて、かき回されているような感覚。 強烈な不快感と、せり上がってくる吐き気。 「――っ!」 馬乗りになっている『偽物』をイージスで弾き、土煙に沈む相手の姿を確認もせず、その場から逃れる。 いつしか打ち捨てられた工場跡脇を、全速力で駆け抜ける。 「……はっ……はっ……!」 自身の小食を、これほどまでにありがたいと思った事は無かった。 吐くものが存在しない以上、残るのは口の中に微かに広がる酸っぱい味だけ。 それを無理やり飲み込み、先ほどの場所から出来るだけ遠くへと離れようと全力で走る。 が、動揺している上に運動が元より得意ではないため、いつしか限界が訪れていた。 「はぁっ……はぁっ……!」 近くの電柱に手をついて息を整える。 もし相手が追いかけてきていたらならば、今の自分には対抗するだけの余力は無い。 「一旦……本物の光輝と合流しないと……」 額に流れる大粒の汗を拭う。 と、その時前方から現れたのは。 「おい悠、そんなところで何してるんだ?」 目を丸くした光輝が、片手で頭をかきながらゆっくりと近づいてくる。 「……近づかないで」 とっさに障壁を展開し、相手を制止する。 「今日の昼食にあなたが食べた物を言って」 「時雨と一緒に、一杯百円でおトクなご飯丼を。そ言えば悠、お前朝も昼もロクに食ってなかったみたいだけど大丈夫なのか?」 と、間を置かずに返してきた。 「……」 ようやく警戒を緩めてイージスを解除し、相手に近づく。 「……晩ご飯はちゃんと食べるから大丈夫。そんな事よりも私の」 偽物があなたにも変身しているから警戒して、と言いかけて。 そこで気付く事が出来なかった。 何故、相手がこちらに本物かどうかの確認を求めてこなかったのかを。 何故、今自分が確認を求めた事を相手が不思議に思わなかったのかを。 後ろ手に隠していた相手の手先。 それは鋭利に尖った刃物のような形状で。 「……!」 その時、悠は無意識のうちに理解した。 先ほど頭を掴まれた時に、『偽物』はこちらの記憶を読んでいたのだと。 すぐに自分を殺す事も出来たはずなのに余計な事をしたのは、本来の目的である自分を殺した後に、目撃者である光輝も『狩り』やすくするため。 そしておそらく、その後二人のどちらかに成り代わろうとするため。 相手が大きく振りかぶる、永遠にも感じられる時間。 その中で一瞬のうちに巡る思考。 だが、この状況に対応する策は一つも浮かんで来ず。 「……あ……」 身体が触れ合うような至近距離。 障壁を展開するにも、距離が近すぎる。 そしてその距離の近さは、防御する事も回避する事もままならない空間を作り出していた。 取る事が出来る選択肢は、全て消えていた。 間に合わな―― 「悠っ!!」 その声と同時に、相手の身体が電撃の直撃を受けて大きく吹き飛んだ。 「え……?」 そして悠の隣に立っていたのは。 「こっちだ、早く!」 光輝に半分背負われるような形で、その場を離れる。 「悠さぁ……体重大丈夫かよ?」 「……」 「お前軽過ぎだって。ちゃんと朝昼晩食えよ。死んじまうから」 「……」 夜の暗闇に包まれた、薄暗い公園内。 光輝から手渡された水のペットボトルを開ける気にもならず、ただ無言でベンチに座る。 「なぁ、」 「……!」 相手の手が自分の肩に触れそうになった時、反射的に身体をひっこめた。 「悠……?」 「……大丈夫。少し気が動転してるだけ」 先ほどの襲撃時からずっと共に行動している以上、目の前の光輝は確実に本物。 だがそう分かっていても、隣にいる彼に完全に気が許せるわけでもなかった。 「さっき逃げた時の俺の攻撃さ、あれ……多分効いてないかもな」 「……」 「お前が言った通り、イージスみたいなのを作り出して電撃をガードしてたのが見えた」 「……そう」 「どうすっかな、この後」 ……。 「光輝、次に私を見かけたらすぐに攻撃して。手加減はしなくていい」 「え……?」 現状で取れる、最も有効な対抗策を口に出す。 「死角からの攻撃でなければ、私は全て防げる」 そして私自身は全ての「あなた」を警戒するから、と口の中だけでつぶやいた。 「でもよ、不意打ちになるかもしれないのに、防御ミスったらお前……」 「……本物と偽物の確実な判別手段が無い以上、こうするしかない」 「……」 光輝がどこか浮かない顔で立ち上がり、ベンチ脇の自動販売機へと向かった。 「水がいらないなら……ジュースでも飲むか?」 「……どっちもいらない」 「悠さん、ダイエットも程々に……。……。……あ」 悠が「別にそういうつもりじゃない」と言おうとして振り向くと、彼は自販機を見つめたままポツリとつぶやいた。 「……。あった、確実な判別手段」 「え……?」 ――俺に考えがある、だからもう一度だけ別行動をしてくれ。これで最後だから。 そう言われて、真っ暗な夜道を一人で歩く。 「……」 相手の狙いは最初からおそらく……いや、確実に自分である事は分かっている。 そしてその自分は連続で狙われたが、二回目は後少しのところで光輝の妨害が入った。 「相手からすれば、実に邪魔な存在……」 自身の考えを、思わず口に出す。 「それに何度も襲撃された私が警戒する事くらい、向こうだって分かっているはず……」 ……。 とすると、次に狙われるのは……。 「……っ」 足を止め、それまでとは逆方向に駆け出した。 「光輝、気を付けて」 そう声が聞こえて振り向くと、そこにいたのは数分前に別れたばかりの悠。 「今狙われているのは……おそらくあなただから」 急いで駆けつけて来たのか、息も荒い彼女は胸に手を当てて呼吸を整えている。 そしてそんな相手に、光輝はこう言った。 「前から思ってたんだけどよ、お前さ、いっつもいい匂いするよな」 「どうしたの、こんな時に」 悠はどこか困惑したかのように返してくる。 だが光輝は、そんな事は構わずに続けた。 「香水って何使ってんの? ほら、あるじゃん。ハーブとかレモンとかペッパーとか」 「……。何が言いたいの」 「だからさ、」 「いい匂いしか(・・)しねーんだわ。お前からは、俺が嫌いなコーヒーの香り(・・・・・・・)なんて全くしねーのよ」 「――ッ!」 相手の表情が、一瞬のうちに驚愕に染まっていく。 だがそれは、既に発動準備を終えていた光輝にとっては十分過ぎる時間で。 「行くぜ、超至近距離!!」 片手に載せた電撃を、全力で『偽物』に叩きつける! 電気を帯びたその手は、相手の胸元をあっけなく突き抜けた。 驚愕に目が見開かれたままの『偽物』の口からひゅぅ、と息の抜けるような音がしたと思うと、相手は悲鳴も上げずに動かなくなる。 一瞬後、身体全体が弾けるように灰色の粒子になると、その粉は周囲の暗闇に溶けるかのように風に流れていった。 「……」 引き返してきた本物の悠は、この様子を遠巻きに見つめて胸中で小さく息を吐いた。 ――一連の事件が終結した瞬間だった。 「ふぃー……一時はどうなる事かと思ったぜー……」 二人で並んで、協会方面に向けて夜の街を歩く。 「それにしても怪我、大丈夫かよ? 身体貸すか?」 「大丈夫。自分で歩けるから」 そう言って光輝の手を振り払う。 「身体は大丈夫。大体は防げたし、全部すり傷程度だから」 この年頃の少女ならば身体に傷が付く事を極端に嫌うらしいのだが、悠はその感覚がどうしても理解できなかった。 もし仮に自身に近いもう一人の彼女(あおい)に聞いたとしても、おそらく同じ事を言うのが容易に想像できた。 「本当にいいのかよ? さっきフラついてたじゃ……」 「あれは主に精神的な部分で一時的。もう大丈夫。……じゃあ私から質問」 「?」 何度も自身を気遣われる事がどこか面倒になり、話題を変えようとする。 「コーヒー、嫌いだったの」 「いんや、ちょうどさっき飲んだ時に嫌いになった」 「……?」 「だって苦いじゃん。俺的には甘い方がいいわ、やっぱ」 そう言って、カラカラと笑う。 「……はぁ」 本日何度目になるのか、ため息。 と、そこで彼が何かを思い出したかのように手を打った。 「なぁ悠、これって俺の貸しとしてはどんくらいになるんだ?」 「貸し、って」 「ほら、お前よく言ってるじゃん。『これは貸しだから覚悟しておいて』とか」 「……」 適当に言った事を、まさか本気にしているとは思わなかった。 「全返済でいい」 そう言って、協会方面へと向けて歩みを早める。 「ま、早くねーちゃんに報告しないとな。……あ、おい、待てってー!」 背後から『相方』が追いかけてくる。 それに気付き、悠はどこか安心したように息を吐いた。